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名古屋地方裁判所 平成7年(わ)9号 判決

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中四五〇日を右刑に算入する。

この裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

第一  Aに対する殺人幇助

正犯者であるB、C、D及びEらは、共謀の上、平成六年一〇月六日午後七時三〇分ごろ、愛知県稲沢市稲沢町北山一七七番地の三所在のF方において、A(当時二二歳)に対し、同人の言動に腹を立て、その頭部、顔面等をビール瓶、ほうきの柄などで数十回殴打するなどの暴行を加え、次いで、同月七日午前一時ごろ、同県中島郡祖父江町大字祖父江字鍋島一三二番地所在の愛知県木曽川祖父江緑地公園駐車場において、同人に対し、その頭部等をほうきの柄で数回殴打し、その腹部等を数回足蹴にするなどの暴行を加え、さらに、同日午前二時ごろ、同県尾西市祐久字外浦三六番地尾西文化広場付近の木曽川左岸堤防上等において、同人に対し、その頭部、背部等をカーボン製パイプ等で数十回殴打するなどの暴行を加え、右一連の暴行により、同人に対し、自力で行動することができなくなる瀕死の傷害を負わせたところ、右犯行を隠蔽するため、更に共謀の上、右Aを直ちに最寄りの病院に搬送して適切な医療措置を講ずれば、同人の死亡の結果を防止することが可能であり、かつ、同人を救護すべき義務があったのに、同人をそのまま放置すれば同人が死亡することを知りながら、同人を遺棄して殺害しようと企て、同日午前二時三〇分ごろ、同人を救護することなく、同人を堤防上から中腹付近に蹴り落として木曽川河川敷雑木林内に引きずって同所に放置して立ち去り、よって、そのころ、同所において、同人を死亡させて殺害したが、その際、被告人は、右Bらが右Aを遺棄して殺害しようとしていることを知りながら、右Bらに命じられて、右Eらと右木曽川堤防中腹付近から右Aの身体を引きずるなどして河川敷雑木林内へ移動させて、Bらの右犯行を容易にしてこれを幇助した。

第二  Gに対する監禁(共同正犯)及び強盗致傷幇助

一  監禁(共同正犯)

被告人は、平成六年一〇月七日午後一〇時ごろ、愛知県稲沢市井之口大坪町八〇番地の一所在のボウリング場・稲沢グランドボウル駐車場において、前記B、C及びDらがG(当時二〇歳)に対し、「こっち来い。乗れ」などと申し向けて脅迫し、被告人が乗車していた普通乗用自動車の後部座席に同人を乗せたことから、右B、C、D及びHらと意思を通じて、そのころから翌八日午前八時三〇分ごろまでの間、同駐車場から愛知県江南市宮田神明町所在の江南緑地公園木曽川左岸グラウンド駐車場、岐阜県養老郡養老町高林一二九八番地の二所在の岐阜県子供の国駐車場、岐阜県安八郡輪之内町楡俣九二番地所在のI方東方長良川右岸堤防などを経て大阪市中央区難波三丁目五番八号所在の福徳銀行難波支店前路上に至るまで、同車を高速度で走行させるなどして、右Gを同車内から脱出できないようにして不法に監禁した。

二  強盗致傷幇助

正犯者である前記B、C及びDらは、前記一の監禁の犯行に際して、共謀の上、前記Gから金品を強取することを企て、同人に対し、平成六年一〇月七日午後一〇時過ぎごろ、前記稲沢グランドボウル駐車場から愛知県江南市へ向けて走行中の前記普通乗用自動車内において、その顔面を手拳等で多数回殴打し、「お前、いくら持っとる。財布見せろ」などと申し向け、続いて、同日午後一〇時三〇分ごろ、前記江南緑地公園木曽川左岸グラウンド駐車場に停車中の同車内において、その顔面等を数回足蹴にし、さらに、翌八日午前二時三〇分ごろ、愛知県一宮市丹陽町三ッ井四六〇番地の一所在のサークルK一宮インター店駐車場に停車中の同車内において、その顔面を数回足蹴にし、その頭部を金属製パイプで多数回殴打するなどの暴行を加え、同所から大阪市へ向けて走行中の同車内において、「財布を出せ」などと申し向けて、その反抗を抑圧し、前記稲沢グランドボウル駐車場から愛知県江南市へ向けて走行中の同車内及び右サークルK一宮インター店駐車場から大阪市へ向けて走行中の同車内において、同人から現金合計約三〇〇〇円及び財布一個(時価約一〇〇〇円相当)を強取し、その際、右暴行により、同人に全治約一週間を要する頭部外傷、顔面・頚部挫傷の傷害を負わせたが、被告人は、その際、Bらが右Gから金品を強取することの情を知りながら、前記稲沢グランドボウル駐車場からサークルK一宮インター店駐車場に至るまでの間、右Bらのために、走行中及び停車中のツー・ドアである同車の助手席などに同乗するなどして、右Gが逃走することを困難にして、もって、Bらの右強盗致傷の犯行を容易にしてこれを幇助した。

(証拠の標目)《略》

(事実認定の補足説明及び弁護人の主張に対する判断)

一  判示第一の犯行について

判示第一の事実に関する公訴事実は、「被告人は、B、C、D、Eらにおいて、判示日時、判示F方、愛知県木曽川祖父江緑地公園駐車場及び木曽川左岸堤防上等において、Aに対し、判示のような暴行を加え、その一連の暴行により、Aに対し、自力による起居動作を不可能ならしめる瀕死の傷害を負わせた際、右Bらに同行した上、Aをそのまま放置すれば、同人が死亡することを認識しながら、同人を右木曽川河川敷に遺棄して殺害しようと企て、右B、C、D及びEらと共謀の上、そのころ、右木曽川左岸堤防付近において、Aを右木曽川河川敷に蹴り落とし、同河川敷雑木林内まで同人の両手・両足を持って引きずるなどの暴行を加えた上、同人を同所に遺棄して立ち去り、よって、そのころ、同所において、同人を死亡させて殺害した」というのである。そして、検察官は、被告人らの右行為は、Aの傷害を悪化させてその死期を早めただけでなく、通行人らによるAの発見及び救護措置の可能性を断ち、同人の生命を奪ったもので、右一連の行為とAの死亡との間には因果関係が認められるから、殺人罪の実行行為に該当する旨、また、仮に、被告人らの右行為が殺人の実行行為に該当せず、かつ、右行為とAの死亡との間に因果関係が認められないとしても、右Bらについては、Aに瀕死の重傷を負わせたから救護義務があり、被告人については、AがBらの一連の暴行によって瀕死の重傷を負った事実を認識しながら、かかるBらと共謀して、Aを木曽川堤防上から蹴り落とし、自らもAの足を持って雑木林内を引きずる暴行を加えた上、同所から立ち去ったものであり、被告人もBらと共にAを救護すべき義務が当然発生したものであるとして、それにもかかわらず、何ら救護義務を尽くさず木曽川河川敷から立ち去った被告人には、Bらと共に不作為による殺人罪が成立する旨主張する。

他方、弁護人は、被告人は、Aに対するBらの暴行を目撃したことから、口封じのためにBらに連れ回されていただけで、被害者であり、殺人の共謀も実行行為の分担もしていない旨、また、仮に、被告人の行為が殺人罪の構成要件に該当するとしても、被告人の行為は、Bらの指示命令を拒めば自己の生命、身体にどのような危害を加えられるかもしれないという異常事態の中でされた行為であり、被告人がその指示命令を拒絶することは心理的にも不可能であったから、緊急避難行為として違法性が阻却されるか、適法行為の期待可能性がなく責任が阻却される旨主張する。

そこで、判示第一の事実に関して、被告人を殺人の従犯と認めた理由及び弁護人の右主張を採用できない理由を説明する。

1  犯行に至る経緯及び犯行状況等

前掲関係証拠によって認められる判示第一の犯行の経緯及び犯行状況等は、以下のとおりである。<1> 被告人は、愛知県稲沢市で生まれ育ち、地元の小、中学校を卒業し、名古屋市内の高等学校に進学したが、平成二年九月ごろ、同校を二年で中途退学し、その後、パチンコ店やキャバレーの従業員、自動車の運転助手、警備員などの職を転々とし、平成六年一〇月ごろからは職に就いていなかった。被告人は、中学生のころから継続してシンナーを吸引しており、両親が焼肉店を営業していて不在がちであったことから、被告人の自宅(判示F方)がシンナー仲間の溜まり場になっていた。<2> Bは、被告人の小学校、中学校の後輩で、被告人のシンナー仲間であったが、少年院に収容されるなどして、平成四年秋ごろから被告人との交際は途絶えていた。B、C及びDは、いずれも大阪市内の甲野組系の暴力団組織に属し、互いに兄弟分の関係にあった。右三名は、事件を起こして警察に追われる身であり、平成六年一〇月四日、大阪府松原市内のパチンコ店で、遊んでいたHに因縁を付けて脅し、同人所有の普通乗用自動車シビック(以下「本件シビック」という。)を逃走用の車両にして、Hに運転させ、翌一〇月五日、愛知県一宮市へ逃走してきた。Bらは、一宮市内において、Bの知人でシンナー仲間であるEやJ子を本件シビックに同乗させ、喫茶店やボウリング場などに立ち寄り、J子の友人のK子も加わって、同人らは、その日は一宮市内のホテルに泊まった。<3> Bらは、翌一〇月六日、シンナーを吸引したり、パチンコ店で遊んだりした後、J子があらかじめ被告人方へ電話しておいて、同日夕刻、連れ立って被告人方へ押しかけた。被告人方には、当時、被告のほか、被告人の妹とその女友達がいた。<4> 被告人は、B、C、D、E、H、K子及びJ子らが被告人方に来たとき、シンナーを吸引していて、久しぶりに会ったBに声を掛けたところ、BやCから口の利き方が悪いなどとして、顔面を数回殴打され、そのため顔が腫れ、目が充血するなどしたが、被告人が謝り、被告人の妹も止めに入って、その場は収まった。その後、被告人は、Bらから殴られないように、Bらのいる部屋の隣室の隅に逃げていた。そして、被告人やBを含めて被告人方にいた多くの者がシンナーを吸引していたが、被告人は、まもなく被告人方に来たシンナー仲間のLに頼まれて、D、K子、Hと一緒にシンナーを求めに外出したり、シンナー仲間で付近に住むAを電話で被告人方に呼び出すなどした。<5> 同日午後七時三〇分ごろ、Aが被告人方に来て、シンナーを吸引する仲間に加わったが、やがてBがAの言動に腹を立て、その顔面を殴打するなどの暴行を加えたり、罵声を浴びせ、さらに、C、D、E、J子らも加わって、Aに対し、その頭部、顔面等を手拳やビール瓶、ほうきの柄などで数十回殴打し、あるいは足蹴にするなどの執拗かつ過激な暴行を加えた。そのため、Aの顔面は腫れて血で染まり、頭からも出血した。被告人は、隣室から垣間見たり、聞こえてくる怒鳴り声や物音などでBらがAに暴行を加えていることを知ったが、その際、Cらが被告人やHの居る部屋に来て、「これは夢やからな」などと言って被告人らに暗に口止めをした。<6> 同日午後一〇時過ぎごろ、被告人の両親の帰宅時間が迫ってきたことから、Bらは、Aを連れ出して被告人方を退去することにしたが、その際、被告人は、Aの足取りがふらついていることや顔が血で染まっている様子を見て、BらがAに過激な暴行を加えたことを目の当たりに知った。被告人は、被告人がAに対する暴行を他に通報することを恐れたBらから一緒に行くように指示されたこともあって、Bらに同行することになった。被告人方を出るとき、Aがいったん逃走を試みたが、Eらがすぐに追い掛けて連れ戻した。<7> 被告人は、同日午後一〇時過ぎごろ、Hの運転する本件シビックに乗り、E、D、K子、Aらと一緒に、Eの道案内で判示祖父江緑地公園駐車場へ到着した。そして、被告人、A、D、K子が下車すると、EとHがBらを迎えに本件シビックで被告人方へ引き返した。同公園において、DとK子が自動販売機のジュースを買いに行ったが、その間、被告人は、Aを逃がしたり、他に救助を求める手立てを講じることなく、その場にとどまっていた。そして、戻ったDがAに対し、カーボン製パイプで殴打する暴行を加え、続いて、遅れて同公園に着いたBやCらも加わって、Aに対し、ほうきの柄やカーボン製パイプで殴打したり、足蹴にするなどの暴行を加えた。被告人は、Bらの到着が遅れたことから、Bらが着く前に、Dに指示されて被告人方に電話し、応対した母親に家に誰がいるか訊いたりしたが、その際、母親に助けを求めるようなことはしなかった。<8> BらがAに暴行を加えているとき、祖父江緑地公園駐車場を出て行く自動車があったので、Bがその車が通報すると言って、場所を変えることになった。Bらは、相談して、再び二便に分かれて判示尾西文化広場まで移動することにしたが、被告人をその相談の中に加えるようなことはしなかった。被告人は、Bに「場所を変えるぞ」と言われて、行き先が分からないまま本件シビックに乗り、第二便でB、E、J子らと尾西文化広場に赴いた。<9> 尾西文化広場において、まず、第一便で到着したC、DらがAに対し、カーボン製パイプでその頭部等を殴打し、同広場西側の木曽川左岸堤防を上がらせ、同堤防上の道路から突き飛ばして川側の斜面に転落させる暴行を加えた。被告人は、第二便でB、E、J子らと同広場に着いたが、まもなく、BやDらに呼ばれて、堤防の上に行き、指示されるままにEらとAを堤防上に引き上げて、そのまますぐに本件シビックの付近に戻った。被告人は、その際に見たAのぐったりとして苦しそうに唸っていた様子から、同人が堤防上で相当の暴行を加えられたことを知り、これ以上BらがAに暴行を加えることはしないであろうと思っていたが、Bらは、その後も堤防上でAに対し、カーボン製パイプでその頭部等を殴打したり、足蹴にしたり、その体にシンナー入りのビニール袋を置いて火を付けるなどの暴行を加えた上、さらに、Aを堤防の駐車場側の斜面に引き下ろした。<10> 続いて、B、C、D及びEが尾西文化広場駐車場の本件シビック付近に戻り、Aの処置について相談した結果、Aが瀕死の重傷を負っていて、救護しないでそのまま遺棄すれば死亡するに至ることを認識しながら、Aを木曽川の河川敷の方に運んで遺棄することにした。そして、Bらは、堤防の上に上がり、被告人を呼び付けて、Aを堤防の上に引き上げるように命じた。右命を受けた被告人は、Eらと一緒にAを堤防の上に引き上げた。その後、EがAを川側の斜面に蹴り落とし、被告人は、命じられるままに、E、C、DらとAを堤防下に下ろして河川敷に引きずっていったが、被告人は、このように堤防の川側斜面に下り立ち、Aを堤防下に引きずっていくときには、Aが瀕死の重傷を負っており、BらがAを遺棄して殺害する意図であることを認識していた。こうして、被告人は、BらがAを遺棄するのを手伝って、E、C、DとAを引きずったが、間もなくAの身体が河川敷の草木等に引っ掛かって進めなくなったところで、Bからそれ以上引きずらなくてもよいとの指示があった。そこで、その場にAを放置することになったが、その際、Aは未だ生存していた。<11> このようにしてAを放置した後、皆が本件シビックに乗って尾西文化広場から退去することになったが、その際、被告人は、Bに命じられて、EらとAの血痕の付着した毛布を河川敷に捨てた。そして、同広場を発ち、途中でJ子とEが下車し、B、C、D、H、K子及び被告人の六名が一宮市内のホテルに赴き宿泊した。<12> 同月一三日、木曽川左岸堤防下段法面端から約一〇メートル離れた地点でAの死体が発見された。以上のとおり認められる。

次に、被告人の検察官調書(乙一二)によると、被告人は、捜査段階において、Bらが尾西文化広場駐車場の本件シビック付近に戻ってAの処置について相談した際の状況について、「Bらとは少し離れた場所にいて右相談に与っておらず、その場でBらが相談した具体的な結論も知らされなかった」旨供述しているところ、右供述調書は、被告人の公判供述と異なり、自己に不利益な事実も率直に語られており、その任意性にも疑念がなく、証人E及び同K子も右供述調書中の被告人の供述にそう供述をしているから、その信用性を排斥することはできない。一方、Bの警察官調書(甲二二七)や検察官調書(甲二六三)中には、被告人も右相談に加わった旨の供述記載があるが、前記認定の経過に照らして、Bらが被告人を対等の仲間として扱っていたとは到底認められないから、被告人も右相談に加わっていたとするBの供述部分は、信用できない。また、被告人の右検察官調書によると、被告人は、捜査段階において、Aを河川敷に遺棄することになった状況について、「右相談の後で堤防の上に上がったBらに命じられて、Eらと一緒にAを堤防の上に引き上げたが、Aが堤防上に引き上げられたことから、またAに暴行が加えられるものと思い、これを嫌って堤防を下りていったところ、再度上がってくるように言われたので、まだ用があるのかと思って堤防の上に上がると、Aの姿がなく、堤防の川側の斜面に人影が見えたので、その場所に下りていくと、Aが仰向けに倒れていた。そして、Aを下に下ろすぞと言われた。堤防下は草木が生い茂っており、BらがそこにAを捨てて殺そうとしていることが分かったので、そんな片棒を担ぐようなことはしたくなかったが、Bらから手伝うように命じられたので、Aの足を持って引きずることにした」旨供述している。この点の関係者の供述内容には一部食い違う点があり、当時は深夜で現場は暗く、関係者の動きも重なっていたことを考慮すると、各人の行動を子細に認定することは困難であるが、前述したように、被告人の右供述調書は、被告人の公判供述と異なり、自己に不利益な事実も率直に語られており、こうした部分だけ殊更に虚偽の供述をしているとは認められないことに加えて、証人E及び同K子も右供述調書の被告人の供述にそう供述をしているから、その信用性を排斥することはできない。そうすると、Bらが尾西文化広場駐車場の本件シビック付近に戻ってAの処置について相談した際、被告人が右相談に与ったとは認められず、また、被告人が堤防の中腹付近に下りていく前にBらとAを遺棄することの共謀を遂げていたとも認め難い。

被告人は、公判においては、「自分はシンナーを吸っていたので、Aが暴行を加えられて重傷を負っていたことは認識していなかった。当時のAの状態はそんなにひどいとは思っていなかった。Aを河川敷に放置しても、普通に家に帰ってくると思っていた。BらがAに対して殺意を持っていることも知らなかった。捜査段階の供述は、後からAが死亡したことを知らされたので、Aが死亡したという結果に基づいて後から想像したことを述べた」旨供述している。しかしながら、こうした被告人の公判供述は、先に認定したように、AがBらから長時間にわたって過激な暴行を加えられて、顔面や頭部から出血し、足下をふらつかせたり、最後は動かなくなっていたこと、被告人は、シンナーを吸引していたとはいえ、その吸引歴や当時の行動からみて、周囲の状況が理解できないような状態にあったとは認められないこと、そして、被告人は、長時間にわたって、AやBらの近くにおり、尾西文化広場ではAの身体に触れていることなどからみて、信用することのできないものである。

2  Aの死因と因果関係

前掲関係証拠、特に、Aの死体を解剖した医師山田高路の捜査官に対する供述調書(甲二九、三〇、二四七)、同医師作成の鑑定書謄本(甲一六六)及び捜査報告書(甲三一、二四六)等によると、Aの死体は、死後変化が著しく、ほとんど白骨化した状態で発見されたことから、死因を特定することはできないが、頭蓋内出血による脳圧迫死、全身打撲による外傷性ショック死及び腹部内臓破裂による失血死が考えられること、そして、本件一連の共同暴行の態様、犯行に使用された凶器の性状及び死体の頭蓋骨に損傷が認められないことなどから、頭部打撲に起因する頭蓋内出血による脳圧迫死の蓋然性が最も高いと推測されること、頭蓋内出血の原因としては、硬膜外血腫、硬膜下血腫、くも膜下出血が考えられるが、Aの頭蓋骨に損傷がなく、かつ、最初に暴行を受けた後も相当の時間意識を有していたことから、硬膜下血腫の蓋然性が高いと推測されること、死亡推定時刻を正確に特定することはできず、死体に付着した蛆の成虫度から平成七年一〇月七日ごろに死亡したとしか推測できないこと、その一方で、Aの死因が前記のいずれであっても、現在の医療技術、尾西市及びその近隣の救急医療体制を考えると、Aが木曽川河川敷に遺棄される前に救命のための出動要請等の措置が速やかに講じられていれば、Aを救命できたことが認められる。

そこで、Aが木曽川河川敷に遺棄された行為によって、Aの死期が早められたかどうか検討するに、前記山田高路の検察官調書(甲二四七)中には、その死期が早められた可能性を認めるような供述記載があるが、単に一般的な可能性を推測として述べるものにすぎず、Aがそれ以前に長時間にわたってBらから過度の暴行を受けて既に自力による動作ができないほどの瀕死の傷害を負っていたことからすれば、右供述調書の記載に依拠して、右遺棄行為そのものによってAの死期が早められたと断定することはできず、本件全証拠を検討するも、他に右遺棄行為がAに対する身体の攻撃としてその死期を早めたものと認めるに足りる確かな証拠はない。また、関係証拠によると、右遺棄行為前にAが倒れていた堤防上の道路や堤防の川側中腹付近は、夜間は人が通るようなことはまずなく、しかも、当時は深夜であって、相当の時間が経たないと夜が明けて人が通るようにならない状況にあったことが認められるから、Aを河川敷まで運んで遺棄するまでもなく、単にその場所に放置しただけでも、通行人にすぐに発見されて救護されるようなことは期待できず、瀕死の状態にあった同人がそのまま死亡した蓋然性は否定できない。そして、Aの死亡時刻も定かでないから、Aを河川敷に遺棄した行為をもって、Aが救護を受ける機会を奪ったとして、その生命に対する危険を増加させたものと認めることもできない。

3  被告人の刑事責任

本件公訴事実に挙げられた検察官が作為犯として主張するAに対する殺人行為の訴因は、被告人らが共謀の上、瀕死のAを木曽川河川敷に遺棄して殺害しようと企て、Aを河川敷に蹴り落とし、河川敷雑木林内まで引きずるなどの暴行を加えた上、Aを同所に遺棄して立ち去った、というものであるが、以上に認定説示したところに基づいて検討すると、Aが堤防上から川側の中腹付近に蹴り落とされる前に被告人が右共謀に加わっていたとは認め難いだけでなく、Aを河川敷に蹴り落とすという行為や河川敷雑木林内まで引きずって放置したという行為それ自体によっては、Aの死期が早められたものとは認め難いから、こうした行為をそのまま作為による殺人の実行行為ととらえることはできない。しかしながら、Bらは、右遺棄行為の前に、Aに対して暴行を加えて自力で行動することのできない瀕死の重傷を負わせたのであるから、こうした先行行為に基づく作為義務として、Aを救護すべき義務があり、しかも、その救護義務を尽くしていれば、Aを救命することができたのに、その義務を尽くさず、殺意を持ってAを遺棄したのであるから、不作為による殺人の刑事責任を負うべきである。

次に、不作為犯としての殺人に関する被告人の刑事責任について検討するに、検察官は、前述したように、被告人は、Aに対する遺棄行為前に、BらがAに加えた暴行によってAが瀕死の重傷を負ったことや、BらがAを殺害する意思を有していることを認識しながら、こうしたBらとAを木曽川堤防上から蹴り落とし、自らもAを河川敷雑木林内に引きずる暴行を加えて立ち去ったものであるから、被告人にもAを救護すべき義務が発生した旨主張する。しかしながら、先に指摘したように、Aが堤防上から川側の中腹付近に蹴り落とされる前に被告人がBらと検察官が主張するような共謀を遂げたとは認め難いから、Aが木曽川堤防上から蹴り落とされた行為について被告人の刑事責任を問うことはできない。また、Aを堤防中腹付近から堤防下に下ろそうとしたときには、被告人は、BらがAに対して殺意を有していることを認識しており、その上で、Bらに命じられてその遺棄行為を手伝うことにしたのであるから、Aを堤防中腹付近から堤防下に下ろそうとした後の行為は、被告人について、救護義務(不作為による殺人の作為義務)発生の根拠となるものではない。

そこで、更に検討すると、先に認定したように、被告人は、Bらに暴行を受けた後、Bらに随行していたものにすぎない。そして、自らがAを殺害しなければならないような動機はなく、事前の共同謀議にも加わっていないから、被告人には正犯意思を認め難いだけでなく、訴因となっている被告人が関与した行為も、Bらの不作為による殺人行為のうちの遺棄行為にすぎず、しかも、その行為自体、それだけではAの死亡との間に因果関係のないものである。そうすると、このような被告人の行為は、Bらの不作為による殺人行為を容易にしたものとして、その幇助に当たるものと認めるのが相当である。

4  弁護人主張の緊急避難の成否

緊急避難は、ある法益に対する侵害行為(現在の危難)を免れるために他の法益に対する侵害行為を不可罰とするものであるから、その要件は厳格に解すべきであり、その要件である現在の危難とは、法益の侵害が現に存在しているか又は目前に切迫していることをいうものと解するのが相当である。したがって、近い将来侵害を加えられる蓋然性があったとしても、それだけでは侵害が目前に切迫しているとはいえない。

これを本件についてみると、先に認定した事実によると、被告人がAの運搬行為を拒めば、Bらからその報復として危害を加えられる可能性がなかったとはいえない。しかし、Bらは、当初被告人方で被告人に暴行を加えた際、被告人が謝り、被告人の妹が止めに入ると、すぐに暴行をやめている。そして、被告人は、その後は一応Bらと行動を共にしており、Bらが被告人に対して暴行や脅迫を加えるようなことはなかった。また、Bらは、Aの身体を木曽川河川敷に移動させることについて、被告人に手伝うように命じているが、その際、被告人に対して、手伝わなければ危害を加える旨明示していたわけではなく、当時はAに私刑を加えることとその始末をすることに関心を向けていたものである。そして、現場には数名の者がおり、被告人の手伝いがなくてもAを河川敷に遺棄することは十分可能であった。こうした事情を勘案すると、被告人がBらのAを遺棄する行為を妨害するような積極的な行為に出るようなことがあれば格別、単にその場から離れたり口実を設けて遺棄行為を手伝わなかったとしても、そのことだけで、直ちに被告人に対して、その生命はもとより、その身体に対しても相応の侵害を加えるようなことはなかったものと認められる。

そうすると、被告人の生命、身体に対する現在の危難は存しなかったというべきであるから、被告人の行為は緊急避難行為には該当しない。また、前記認定の事実経過によると、被告人においても、右の事情を認識していたものと認められる。したがって、被告人は、Bらの言いなりにならなければ後にBらから報復されることを危惧していたとしても、自己の生命身体に対する現在の危険の存在を誤信していたものとは認められないから、誤想避難も成立しない。

5  弁護人主張の期待可能性の存否

期待可能性の理論は、犯罪構成要件に該当し、違法性阻却事由の存しない行為について、責任の阻却を認めるものであるから、その要件も厳格であるべきであり、適法行為の期待可能性が存しないとするには、当該行為が心理的に到底抵抗できない強制下において行われた場合など、行為者が極限的な事態に置かれて初めてその適用があるものと解される。

そこで、本件について検討すると、関係証拠によると、被告人が生まれ育った稲沢市は、祖父江町や尾西市に隣接しており、被告人は木曽川近辺の地理に通じていること、尾西文化広場の周辺にはそれほど離れていないところに住宅も存在すること、そして、被告人は、シンナーの影響で動作が多少緩慢になっていたとはいえ、逃走することができないほどにはその運動能力が鈍っていなかったこと、それにもかかわらず、被告人は、BらがAに対していわゆる焼きを入れるために自動車で連れ出したことを知りながら、祖父江緑地公園から母親に電話した際にも救助を求めるようなことをせず、積極的にBらから離脱する努力をしないまま随行していたことが認められる。こうした事情と先に緊急避難の主張を排斥した箇所で挙げた事情を勘案すると、被告人において、Bらの意図に反してAを救護するような積極的な行為に出ることまでは期待できなかったとしても、Bらに命じられたAを河川敷に遺棄する行為を手伝うことについては、口実を設けて断ったり現場を離れるなどしてこれに加担しないことを期待することは可能であったと認められる。したがって、被告人に適法行為に出る期待可能性が存在しなかったとする弁護人の主張も採ることができない。

6  結論

以上の次第で、被告人は、Aに対するBらの殺害行為について、これを幇助したものとして、従犯としての責任がある。

二  判示第二の犯行について

判示第二の事実に関する公訴事実は、被告人が前記B、C、D、H及びK子の五名と共謀の上、停車中及び走行中の判示普通乗用自動車(本件シビック)の後部座席及び助手席にとどまって前記Gを監視するなどして、判示第二の右Gに対する監禁及び強盗致傷の犯行に及んだとして、被告人が共同正犯に当たるとするものである。これに対して、弁護人は、BらはAに対する暴行の目撃者として被告人を口封じのため連れ回していたもので、被告人も被害者にすぎず、被告人は、右監禁及び強盗致傷の各犯行について、共謀に加わっていないし、実行行為も分担していない、また、仮に、被告人の行為が監禁及び強盗致傷の各構成要件に該当するとしても、被告人の行為は、Bらの指示に従わなければ生命、身体にどのような危害を加えられるかもしれないという異常事態の中で行われたもので、心理的にも逃亡できない状態の下で行われたものであるから、被告人には適法行為の期待可能性がなく、責任が阻却されるとして、被告人の無罪を主張する。そこで、監禁の犯行について被告人を共同正犯と認め、強盗致傷の犯行について被告人を幇助犯と認めた理由及び弁護人の右主張を採用できない理由を説明する。

1  犯行に至る経緯及び犯行状況等

前掲関係証拠によって認められる判示第二の犯行に至る経緯及び犯行の状況等は、以下のとおりである。<1> 被告人とBら犯行に関与した者との関係、Bらと被告人の右犯行前の行動等は先に認定したとおりであり、被告人は、平成六年一〇月六日から翌一〇月七日にかけて、被告人方を訪れたBらから暴行を受けた後、Aに暴行を加えたBらに付いて行き、BらがAを木曽川の河川敷に放置するのを手伝い、B、C、D、H、K子らと一宮市内のホテルに宿泊した。<2> 被告人は、同月七日午後、BらとHの運転する本件シビックに乗って右ホテルを出発し、パチンコ店や喫茶店に立ち寄った後、食事をして、午後八時ごろに判示稲沢グランドボウルに赴いた。被告人は、右ボウリング場には入らず、本件シビックに残っていた。<3> 同日午後一〇時ごろ、B、C及びDらが右ボウリング場で出会ったG、M及びNの三名に因縁を付け、金品を脅し取ることを企て、右三名をボウリング場の駐車場の植込み付近に連行し、同所で、M、Nの両名に対し、顔面を殴る暴行を加え、Mからバッグを脅し取り、Gから軽自動車(ダイハツ・ミラ。以下「ミラ」という。)の鍵を脅し取った。Hは、右暴行の一部を目撃して、Bらが右三名から金品を脅し取ろうとしていることを知り、本件シビックに戻った際、被告人にBらがまた喧嘩をした旨伝えた。その後、BがGを駐車場に連行して、同人を本件シビックの後部座席に乗せた。被告人は、Gの恐がっている様子を見たが、Bが被告人らに見張りをさせようとしていることを知って、助手席に座ってGが逃げないようにした。本件シビックはツー・ドアであって、助手席や運転席に見張り役の者が座ると、後部座席の者は車外へ脱出することが困難であった。その後しばらくして、本件シビックにB、K子も乗り込み、運転席にH、助手席に被告人、後部座席にG、K子、Bが座り、ミラには、運転席にC、助手席にD、後部座席にMとNが乗って、同日午後一〇時過ぎころ、右ボウリング場の駐車場を出発した。被告人は、Gがこのようにして本件シビックに乗せられたことから、BらがGをどこかに運んで金品を奪取したりすることもあるかもしれないものと認識したが、Bの指示に従って本件シビック助手席に座っていた。<4> その後間もなくして、走行中の本件シビックの車内でBがGの顔面を殴り始めた。車内が血で汚れることを嫌ったHが「車の中だけはやめてください」などと頼んだが、Bは、聞き入れずにその後もGを殴り、「財布を見せろ」などと言って、Gから財布を取り上げ、その財布から現金二〇〇〇円くらいを抜き取った。被告人は、BがGを殴る音や財布を要求する言葉などを聞いていて、BがGから現金を奪い取ることを知ったが、そのまま助手席に座っていた。<5> 被告人らは、その後、Bの指示で判示江南緑地公園木曽川左岸グラウンド駐車場に赴いた。被告人は、Bらが本件シビックから離れた際、Bに指示されて辺りの様子をうかがい見張っていた。同駐車場では、DがGに対し、足蹴にする暴行を加えたが、駐車場にほかに一〇台くらいの車が駐車していたことから、間もなく、Bの指示で、場所を移動することになった。<6> 同日午後一一時三〇分ごろ、被告人らは、愛知県津島市蛭間町所在のコンビニエンスストア・ローソン津島蛭間店の駐車場に着いた。同所で、BとK子が車を出て、K子が買物に行き、Bはその辺りにいた男たちと話をした。その間、被告人は、Hと共にGの乗ったままの本件シビックに残った。そして、被告人が下車して小用をした後、HがGをトイレに行かせようとしたが、Bに止められて、Gをトイレに行かせてやることはできなかった。その後、Bが金属製のパイプを探してきて車に積み込み、Bの指示で右駐車場を出発した。<7> 被告人らは、その後もBの指示で場所を移動し、翌一〇月八日午前零時四〇分ごろ、判示岐阜県子供の国駐車場に着いたが、すぐにBらの指示で引き返すことになり、同日午前一時ごろ、判示岐阜県安八郡輪之内町の長良川右岸堤防付近に到着した。<8> 右長良川右岸堤防付近において、B及びK子が本件シビックから降り、車内には、被告人、H、Gの三人が残った。その後間もなく、BらがM及びNの両名を殴打している様子で、金属製の棒を振り回すような音や、ボコボコといった気持ちの悪い音が聞こえてきたので、HがGに対し、「あの音何の音か分かる」と話し掛けたところ、Gが「分かりません」と答えたので、さらに、Gに対し、「あの音は頭ちゃうか」とか、「あの人達は何の職業か知っとるか。あの人達はヤクザだ」などと話し掛けた。そして、HがGに対し、「俺もお前と同じ立場やで、『どないする』と訊かれたら、『運転手やります』と答えや。そうしなあかんで」などと言って、Bらから何か言われたら運転手をやると答えるようにGに助言した。その場にいた被告人もGに対し、「お前、運がいいなあ」などと言い、Hも「俺の車に乗っただけましや」などと言った。<9> その後、Bらが戻ってきて本件シビックとミラに分乗し、被告人は、本件シビックの助手席に乗り、Gはその後部座席に乗せられたまま、Bの指示で同所を発車し、同日午前二時三〇分ごろ、判示サークルK一宮インター店に着いた。Bは、D、Cとミラの処分などを相談し、付着した指紋を消すためにミラに消火剤をかけることにして、Hに手伝わせて、ミラの内外に消火器の液を振りかけた。それから、B、C、Dの三人が相談した結果、B、被告人及びK子がタクシーで帰り、C、D及びHがGを乗せた本件シビックで大阪へ向かうことになった。そして、CとDが本件シビックに乗り込んだが、その際、Dが後部座席にいたGの顔面を足蹴するなどした。<10> その後、CとDがHの運転でGを乗せて大阪に向かい、途中でCがGに財布を出させて一〇〇〇円札一枚を奪い取った。そして、同日午前七時ごろ、CらとGは、大阪市住之江区所在の大阪南港に着いたが、そのころになってようやくCがGを帰宅させることを決め、同日午前八時三〇分ごろ、Gを近鉄難波駅付近(判示福徳銀行難波支店前路上)で解放した。一方、被告人は、Bの指示に従って、前記サークルK一宮インター店付近からB、K子と共にタクシーに乗り、その日は同人らと一宮市内のホテルに宿泊し、その後、Bらと喫茶店に行ったり、K子の友人方を訪れたりした後、翌々日の一〇月九日朝、Bらと別れて帰宅した。以上のとおり認められる。

被告人は、捜査段階において、BらがGをどこかに連れて行って金を脅し取るかもしれないと思ったことや、Bが被告人らに見張りをさせようとしていることを知って一緒に行動したことを認める供述をしながら、公判において、こうした捜査段階の供述は、捜査官に決めつけられて話を合わせたり、後に結果を知ってから考えたことを述べたものである旨供述しているが、被告人の供述調書は、内容がほぼ一貫している上、具体的で特に不自然な点がなく、見張役をしたことを認める供述部分については問答形式で記載されているものもあり(乙一六)、右供述部分について、その任意性はもとより、信用性を疑うような事情は特に存しない。

2  監禁の犯行と被告人の刑事責任

右に認定した事実によると、被告人は、BらがGを脅迫して本件シビックに乗せて他の場所に連行することを知りながら、走行中の本件シビックの助手席に座り続けたり、停車中の本件シビックにいてGを見張る役割をしており、こうした被告人の行為は、監禁の犯行においては、実行行為に当たる。そうすると、監禁の犯行については、被告人がBらの意向に逆らい難く、従属的な立場にあったとしても、被告人は、Bらと意思を通じて実行行為の一部を分担したものであり、共同正犯としての責任を負わなければならない。

3  強盗の犯行と被告人の刑事責任

検察官は、右に挙げた監禁に当たる被告人の行為がそのままGに対する強盗の実行行為を構成するから、被告人は強盗の実行行為も分担していると主張する。しかしながら、BらがGを本件シビックに乗せた経緯は、前記認定のとおりであり、Bらは、Gのほか、M及びNの両名も一緒に連れ出して監禁していて、右両名を始末するためにも各所を転々としており、Gについても、前記Bらの供述調書にあるように、Hの替わりの運転手をさせることにするのか、あるいはM及びNらのように始末するのか、最終的にその処遇を決するまでの間、同様に監禁して引き連れていたものであり、それゆえに、その監禁は長時間に及んでいる。また、Bらは、Gを本件シビックに乗せる際には、「こっちに来い。乗れ」と申し向けただけ、Gにそれ以上の暴行脅迫は加えておらず、その時点で、被告人に対してGを見張るように暗に指示していることは認められるが、Gから更に金品を奪取するための具体的な相談がされていたとも認められない。さらに、BらがGから現金を強取したのは、本件シビックが走行を始めた後のことであり、しかも、Bらは、Gから金品を強取するために、監禁行為とは別にGの反抗を抑圧するための暴行なども行っている。そうすると、BらのGに対する強盗の犯行は、監禁を利用して行われたものということはできても、監禁行為が強盗の実行行為であるということはできない。

そこで、被告人とBらとの間でGに対する強盗の犯行についての共謀が認められるか検討するに、<1> 被告人は、Bとは小学校、中学校の先輩でシンナー仲間であったが、平成四年ごろから交際が途絶えていた。そして、C、Dとは従前面識がなかった。一方、B、C及びDの三名は、同じ暴力団組織の兄弟分で、事件を起こして追われる仲間であった。被告人は、以前のBは知っていたが、久しぶりに会ったBは仲間を連れていて粗暴になっていた。被告人は、自宅でBらに乱暴された上、BらがAに暴行を加えたことを暗に口止めされ、その後は一緒に行動するように求められてBらに同行していたものである。そして、Bらが本件の各犯罪行為を遂行するに当たって被告人を相談相手に加えたことは一度もなく、被告人も、Bらに指示されるままに同行し、指示されたことを実行していたにすぎない。<2> 被告人は、Bらに逆らえば自分も危害を加えられかねないとの恐怖心を抱いていたことは否定できないが、自ら進んでGに危害を加えるような行為はしておらず、HがGに対して、Gの身に更に危害が及ばないように助言した際には、Hに同調してGに話し掛けたりしている。こうした事情を勘案すれば、被告人がBらの犯罪集団に溶け込み、その一員として積極的に犯行に加担する行動を取るようになっていたとは認め難い(被告人の供述調書中には、Bらの仲間であったことを強調するような供述記載部分があるが、被告人の公判供述によると、結果的にBらと行動を共にしていたことから、十分反論できないまま誇大な表現となって記載されたことがうかがわれ、被告人とBら共犯者との関係を判断するに当たって、これを重視するのは相当でない。)。<3> Gに対する強盗の犯行は、当時事件を起こして警察に追われる身であって特に収入のないBらが遊興費や生活費を得るために敢行したものである。被告人は、Bらと一緒にいて飲食代金等を支払ってもらったことがあるが、これは、前記の経緯でBらと同行することになった被告人が所持金がなかったことからBらに代金を支払ってもらったもので、特に被告人がBらと共同して強盗の犯罪を実行することの対価としての意味があったとは認め難い(被告人の供述調書中には、Gから強取した金でBらにおごってもらうことを期待していたようにも解される供述記載部分があるが、こうした供述部分も、その記載内容や被告人の公判供述に照らすと、捜査官が事後の結果を踏まえて理詰めの追及をしたことによって引き出されたことがうかがわれるもので、これを重視するのも相当でない。)。そして、他に被告人がBらから強盗の犯行の対価を得たようなこともない。

共同正犯成立の要件である共謀とは、特定の犯罪行為を一体となって、互いに他人の行為を利用して共同して遂行する意思の合致であると解されるが、以上に検討したところに総合すると、Gに対する強盗の犯行については、被告人は、Bら正犯者とは立場を異にしており、犯行を行う積極的な動機がなく、犯行の相談にも与かっていないし、HがGに対して、Gの身に更に危害が及ばないように助言した際には、Hに同調してGに話し掛けたりしている。それだけでなく、被告人は、強盗の犯行の直後の実行行為もしておらず、犯行に加担したことについて特別に報酬を得ているわけでもないから、被告人にBらとの間で明示黙示を問わず強盗の共謀があったとは認め難い。したがって、被告人を強盗の共同正犯に問擬することはできないが、先に挙げたGに対する監禁に当たる被告人の行為は、BらのGに対する強盗の犯行を容易にする行為であるということができるし、被告人もそのことを認識していたものと認められるから、被告人はBらの強盗の犯行について幇助犯としての責任を負うべきである。

4  弁護人主張の期待可能性の存否

弁護人は、判示第二の犯行についても、被告人につき、適法行為に出る期待可能性がなかったとして無罪を主張するが、Gに対する監禁行為が開始された場所が営業中のボウリング場の駐車場であり、その後もコンビニエンスストアに立ち寄っていることなどを考慮すると、被告人において、Bらのもとを逃げ出したり、他に助けを求めることも可能であったものと認められる。そうすると、被告人が判示第二の犯行に加担しないように行動することを期待することは可能であるから、弁護人の主張は採ることができない。

5  結論

以上の次第で、被告人はGに対する監禁行為については共同正犯としての責任があり、強盗致傷の犯行については従犯としての責任がある。

(法令の適用)

一  罰条

判示第一につき 平成七年法律第九一号による改正前の刑法(以下「改正前の刑法」という。)六二条一項、一九九条

判示第二につき 一の監禁の点は同法六〇条、二二〇条一項、二の強盗致傷幇助の点は、同法六二条一項、二四〇条前段

二  科刑上一罪の処理 判示第二につき、改正前の刑法五四条一項前段、一〇条(重い強盗致傷罪の刑で処断。なお、判示第二の被告人のGに対する監禁と強盗致傷幇助は、同一機会の継続した行為によってされており、社会的には一個の行為と評価できるものである。)

三  刑種の選択 判示各罪につき、それぞれ所定刑中有期懲役刑を選択

四  法律上の減軽 改正前の刑法六三条、六八条三号(それぞれ従犯の減軽)

五  併合罪の加重 改正前の刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(重い判示第二の罪の刑に法定の加重)

六  酌量減軽 改正前の刑法六六条、七一条、六八条三号

七  未決勾留日数の算入 改正前の刑法二一条

八  刑の執行猶予 改正前の刑法二五条一項

九  訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項ただし書(負担させない。)

(量刑の理由)

被告人の判示第一の被害者Aに対する殺人幇助の犯行は、正犯者であるBらが被害者に加えた暴行が執拗かつ過激なものである上、動けなくなった被害者を救護することなく河川敷に放置して殺害したもので、前途のある被害者を、さしたる落度もないのに、このようにして死に至らしめた正犯者の罪責は誠に重大であるところ、被告人は、こうした正犯者らに指示されるままに被害者を河川敷に放置する行為を手伝ってその犯行を幇助したものであり、また、被告人の判示第二の被害者Gに対する監禁及び強盗致傷幇助の犯行は、Bらが被害者を長時間監禁した上、金品を強取し傷害を負わせた犯行に加担し、監禁については、実行行為の一部を分担し、強盗致傷については、正犯者の犯行を容易にしたものであり、被告人の本件各犯行は、特に客観的行為及び結果の面から見ると、その刑事責任は重いといわなければならない。

しかしながら、被告人は、前記補足説明において詳細に認定判断したとおり、Bらに暴行を受けた上、連れ出されて行動を共にしていたもので、そのこと自体被害者的側面がある上、Bらに暴行を受けたことや、Bらが被害者Aや前記M及びNらに対する凶行に及んだことから、Bらの意向に逆らい難く、各犯行に判示のような態様で加担するに至ったものであり、Bらと行動を共にしていた被告人は、一応加害者側の立場に立っていたとはいえ、事情が異なれば、Bらから危害を加えられかねない立場にもあったともいえる。被告人は、定職につかず、シンナーを吸引する生活を送り、被告人方がシンナー仲間の溜まり場になっていたことや、犯行時の被告人の行動には、Bらの要求を拒否しなかっただけでなく、軽率に行動を共にした面がないとはいえず、Bらの集団から離脱するために真剣に努力したとも認め難いけれども、当時の被告人が置かれていた右のような立場には、同情すべき点がある。こうした事情に加えて、被告人には前科がないこと、本件により相当長期間勾留されていること、若年であることなど、被告人のために酌むべき事情もある。

そこで、これらの事情を総合するとき、被告人には、酌量減軽をして、主文の刑を量定した上、特に刑の執行を猶予し、社会内で更生する機会を与えるのが相当である。

(裁判長裁判官 三宅俊一郎 裁判官 長倉哲夫 裁判官 岩田光生)

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